統合失調症は、一度罹ると一生治らないと言われている。
だから、症状が良くなることを、治ったと言わず「寛解(かんかい)」という。
僕は大学三年生の秋に寝たきりみたくなった後、24歳までまともに生活出来ませんでした。
だいたい、4年半くらいの闘病生活。
その間、一番長く時間を過ごしたのは、やっぱり布団の中でした。
本当に、完全にスイッチが切れたようになって、体をピクリとも動かせなくなるんです。
実家に戻ってからは、両親がしきりに声をかけてきたけれど、一切反応を示せません。
お風呂、三ヶ月とか、半年とか、入らないのもざらでした。
それくらい、生活ができなくなってしまったんです。
幻聴が酷い中、布団の中で、僕は絶望しきっていました。
「このままもう二度と社会に戻れないに違いない」
「死ぬ理由はいくつもあるけれど、生きる理由が一つも見当たらない」
そんな感じでした。
それが20歳から24歳くらいまで続いたんですが、ある時、転機が訪れます。
精神科医・泉谷閑示先生の『普通がいいという病』という著書に出会ったんです。
寝たきりが多い生活でしたが、通院を始めて、起きて活動することが増え始めた頃だったと思います。
その著書に感銘を受け、特に哲学者F.ニーチェの言葉の引用のところに感動しました。
その後ニーチェの『ツァラトゥストラはこう言った』を買って読む機会があり、上巻を読んでボロ泣きしました。
自分の心の絶望を、言い当ててくれる言葉の数々に出会った。そんな感じです。
夜中の二時とかだったと思います。近所迷惑も考えず、大声を上げて泣いた記憶があります。
ニーチェが、自分が勝てなかった世のえげつない何かと戦ってくれているようで、強い父の背中を感じました。
それで心の荒廃がだいぶ回復して、自分のなかで言葉が立ち上がるようになりました。
「親から子、子からその子へと、連綿と受け継がれる負の連鎖がある」
「それを、自分の世代で断ち切ろう。自分の子孫には決して渡すまい。防波堤になるんだ。そのために自分の命はあるんだ」
そう思った時、心にもう無くなったと思っていた「火」が、再度灯った気がしました。
それからは、あれよあれよという間に体調が回復し、復学、社会復帰へとこぎつけることが出来ました。
寛解に必要だったのは、僕にとっては泉谷閑示先生の存在であり、ニーチェの存在であったけれど。
きっと誰の心にも、そうやって誰かが燃料を入れてくれれば、一気に燃え上がる「火種」があるんだと思います。
その火種を、どうか大切にしてください。
「そんなの考えられない、絶望しかない」という日々を照らす、心の火種。
それは、己の心のなかに、ちゃんとあるんだと思います。

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